様似山道(冬島〜幌満) (様似町) ■Home |
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冬島から幌満まで凡そ3時間、帰りは国道を歩いて1時間で戻れるらしい。
ただ以前は幌満からコトニまでしか山道が延びてなかったとのことで入り口探しから始まった。
集落から延びる破線の路はこの坂を登った先にある筈だが案内板らしき物が一切見当たらないのでちょっと不安になる。
近くの奥さんに尋ねたら「様似山道?この道行ったら町に出るよ」と意味不明の返事。
まっ取り合えず間違いなさそうなので出発する。
「全然、山道らしくねえな・・」「山道と言ったってただの砂利道でしょ・・」、
樹上にアポイ岳を望みながらとぼとぼ歩く。
すると突然カーブから車が走ってきてびっくり、「様似山道で車に引かれたらさまにならねえわ・・」
など冗談良いながら、今度は新しい標識が目に留まる。
何と山道は今歩いてる道路の下に延びていた。(地図の青破線)
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初っ端から少し遠回りしたがフットパスの道標を見てほっとする。
このコースは通常、東口(幌満)から入り西口(冬島)に出ることを勧めているせいか出てくる矢印が常に一方通行だった。
要所に赤札が転々と垂れ下がり以後、迷いそうな所は皆無である。
さて漸く古の道に出たものの、昆布干場とか舗装道がやたら出てきて雰囲気的にいまひとつの感である。
その昆布干場の一つに「コトニ小休所跡」と云う案内板が立っていた。
「シャマニ(様似)が見えるこの場所には休憩小屋が建っていて旅人が焚き火などして疲れを取り、
行く人、来る人の悲喜こもごもが多く残された場所である」と記されている。
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昆布干し場を過ぎた湿地帯にはクリンソウとエンレイソウが、
そのあと本格的な登りに差し掛かるとエゾオオサクラソウとオオタチツボスミレ
が目を楽しませてくれた。
昔は群落だったと想像するが道脇にぽつぽつという程度でやや寂しい。
今年は暖かい日が続いたので早々と春の花が終わりを告げたのかも知れないが思ったより数は少なかった。
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新緑がとても綺麗だ、歩きやすいみやこ笹の尾根に山道が続き、
一番の高身に案内板が立っていた。
原田安太郎という人物が明治の初期に営んでいた旅籠屋の跡で、12年間ここで旅人の安全を守ったと記されている。
こんな山奥で冬も暮らしたのだろうか、食糧や水の確保など往時の苦労が偲ばれた。
案内板を支える石が丸みを帯びている、この山道で丸い石ころをよく見るが昔は海だったのかも知れない。
そして所々に碍子と朽ちた木柱が転がっている。
これは明治17年から敷設が始まった札幌〜浦河〜根室間の電信線の一部と思われるが、
電電マークの番札から少なくとも昭和24年以降まで現役だったとは意外である。
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旅籠屋跡から支尾根を下ると「日高耶馬溪まで100m」の標識があって、足下に海を望む断崖の上に出る。
普段見ることなどまずない、落石防止ネットを吊り下げる太いワイヤーとアンカーが残置されていた。
立ち入り禁止のロープを跨いで断崖の淵を少し行くと100m下に青い海と鵜の鳥岩が綺麗である。
そして何度か沢の渡渉を繰り返し、この山道で一番深いルランベツ沢を渡る。
ここも新緑と木漏れ日が気持ち良く、水がちょっとだけ流れて空気がひんやりしていた。
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ルランベツ沢の右股をジグを切って登り詰め、小尾根に出るまでニリンソウとオオサクラソウが咲いていた。
あとは足場の悪い枯れ沢を下るだけだ、山道は踏み跡の様で定かでなくなるが適当に下ってくと次第に沢が開けて海に出た・・
と思ったら大きな川だった。
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昔の旅人も同じ気持ちだったと思うが、薄暗い沢中から開けた幌満川に出て少しほっとする。
川べりを少し歩いて橋の下を潜り、幌満トンネルで7kmの様似山道を終える。
お勧めとは逆向きに歩いたにも拘わらず、すれ違った登山者もなく、随所に歴史を感じながらの静かな山旅であった。
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バス停の時刻表を見たら一日に4本しかなく、次のバスまで3時間もある。
諦めて歩く積りでいたらよもぎさんがヒッチハイクすると言うので車のキーを預けた。
我々二人が一緒だったら難しいだろうと建物の陰に身を潜めたとたん一発で成功!
地元の奥さんが拾ってくれたとかで20分足らずで戻ってきた。
様似の生協で食材を買い求め、親子岩の見える駐車場で炉端焼きを楽しむ、
心地よい潮騒とアルコールが効いてばったんきゅーだった。
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