三笠山(観音山) ミカサヤマ 120m (三笠市) ■Home |
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【旧空知集治監典獄官舎レンガ煙突】 明治23、刑務所長の官舎と共に囚人たちの手によって作られたモニュメントです。 三笠市にはかつて三千人の囚人たちが収容された空知集治監があり、石炭採掘や道路建設などに従事させられていました。 この地で亡くなったのは千人余りというのでいかに過酷な労働だったかが想像されます。 いま残っているのはこのレンガ煙突のみで集治監は三笠小・中学校の敷地に建っていたようです。 |
【三笠山(観音山)】 その空知集治監の裏山が三笠山で標高120m余りの丘みたいな山です。 山容が奈良の三笠山(現在の若草山)に似ているので「三笠山」と呼ぶようになったと言われています。 若草山は囚人の故郷の山だったのでしょうか、 何となく物悲しさを感じさせますが後に凶作を機に観音像(お地蔵さま)が祀られるようになってからは観音山と呼ばれるようになったと書かれています。 |
芦別の烏帽子岳を下山した後で時間も押していましたが10分位で登れるらしいので一巡りすることにしました。 入口に札所一番那智山と刻まれたお地蔵様と開拓使のマークが入った石碑を出発します。 二番目・三番目とどのお地蔵様も大正4年の割には顔立ちがはっきりしています。 歩きながら計算すると丁度100年目ですが潮風が当たらない土地柄か赤岩やシリパ岬のとは随分違うなと思いました。 さてお地蔵さまは緩やかな散策路に適当な間隔で立っていますがなかなか番号が進みません。 このペースで八十八番まで廻るには日が暮れてしまうとばかり少し急ぎます。 山頂が近づくもあまりに番号が進まず途中で八十八ではなく三十三巡りだと気が付きほっとしました。 |
黄昏迫る山頂からは葉を落した木の枝越しに本郷町の長閑な佇まいが見えました。 かつて囚人たちは毎日どんな思いでこの山を眺め、死んでいったのでしょうか・・など考えながらテクテク下ります。 静かな三笠山(観音山)は公園のように桜の木がたくさん植えられて山一面を彩る春に再訪したいと思いました。 |