岩屋観音と小幌駅探訪 (豊浦町) 地図はこちら ■Home |
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小春日和に恵まれた秋の一日、豊浦〜洞爺周辺のフットパスを4箇所巡り歩いた。
@小花井山(豊浦町)
A岩屋観音と小幌駅(豊浦町)
B四十三山(壮瞥町)
C烏帽子岩(洞爺湖町)
円空仏の置かれた 観音堂と秘境小幌駅は以前より興味があってワクワクする。 参拝者はJR小幌(こぼろ)駅より山道を歩いて観音堂に行くようだが国道からルートがあると云うので訪ねてみることにした。 |
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礼文華トンネルの長万部側出口に車を止め紅葉に彩られた林道を出発する。
1`半ほど歩くと砂防のある小沢と出合い、これより沢沿いに踏み跡を下った。
靴を濡らすこともなく徒渉を繰り返すとやがて視界が開け、
断崖に囲まれた小さな入り江が見えてきた。
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お〜!美しく穏やかな海岸だ、
小さな湾のような地形でここなら嵐から身を守るのに打って付けだったろう。
ぽつんと岸から離れた桟橋は岩屋観音の例祭で使われるのだろうがあそこまでどうやって行くのだろうか。
道なき時代に波の打ち寄せる海岸や山野を越えて行脚した円空の苦労が偲ばれ、
またこの地を松浦武四郎や紀行家の菅江真澄も訪れたと云うから一層感慨深く見えてくる。
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洞窟の傍に立つ案内板には「1666年、僧円空がこの洞窟にこもって仏像を彫った・・」云々と記されていた。 円空が津軽藩を追われて蝦夷地に渡った足跡は広報「道南のみち 歴史を刻んで」と「福島町史」に詳しく、Netでも閲覧することができる。 それに依ると松前に上陸した円空は岩穴などにこもって函館から恵山を廻って有珠まで歩き、 更に熊石に引返す2年数ヶ月の間に40数体の仏像を残したと記されている。 はたしてこの岩屋観音堂に如何ほど滞在し、その間の食糧はどうしたのかなど興味が尽きない。 |
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洞窟の中に入って目が慣れてくると意外に広いのに驚く、
扉の付いた祠の両側に小さな仏像が何体か置かれていた。
円空はここで五体の仏像を彫ったとされ、その内の一体が有珠善光寺に保管されている。
今ここにあるのは全て複製だがどの観音様も良いお顔で、最近このような仏像を見て飽きがこなくなった。
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円空仏と言えば一刀彫のゴツゴツした荒削りのイメージだがここにあるものは全て丁寧に作り上げられたものばかりである。
その中では写真右に素朴な温かさが感じられる。
円空が蝦夷地を歩いた頃はまだ仏師として駆け出しでその生涯に実に一万二千体の仏像を製作し、半数近くが現存するというから驚きである。
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さて鉄男・鉄子ならずとも興味深い、日本一の秘境駅へ向かうとする。
登山道並みの道を登り降りして15分余り、トンネルとトンネルの間にポツンと陸の孤島のような無人駅に到着する。
1日に上下合わせて8便しか停車せず極めて不便な・・というか周辺に家一軒ある訳でなくかなり不自然な駅である。
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帰りがけ列車の通過を知らせる放送が入ったのでレールのすぐ脇に寝そべってカメラを構える。
てっきり無人駅だと思ったら保線の職員が見ていてビックリ、物凄い風と共に長い貨物列車が通り抜けて行った。
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