2012年12月8日 曇り時々晴れ メンバー6名
8:20張碓町道→軍事道路→(10:40-11:00)石倉山→12:05張碓町道
四等三角点「石倉山」は余市岳から北に延びる尾根の末端に位置し、
神居古潭と呼ばれる険しい岬が日本海に落ちている。
道路地図にも載ってるので気になっていたが
張碓と朝里にある砕石場の山というイメージが登山意欲を妨げる。
たまたま山麓に延びる林道が実は日露戦争をきっかけに作られた軍事道路であること、
古い電柱等が残されていることを知り訪れてみることにした。
日露戦争をきっかけに作られた昔の軍事道路を辿る 逓信省時代の古い中継BOX、〒マークが興味を引く 単調で展望のない道、久々のシューラッセルが堪えた
札幌から小樽に向って車を走らせると銭函の町並みの上に何処が山頂か判然としない石倉山が見えてくる。
たぶんこの山だけでは満足できないだろうと隣の小樽内山をセットにして大正解、
ただの尾根にしか見えないのっぺりした山だった。
ちなみに小樽内山とは673標高点「三等三角点・吹上」を地元の方が名付けたものだが、
奥に控える春香山「二等三角点・小樽内」と若干紛らわしい。
国道5号線の張碓にある大きなヘアピンカーブの付け根から旧国道に入り、
狭い町道の除雪端に車を止める。
この時期にしては予想外の降雪、
これならスキー使えたなと思いながら冬山が初めてのMちゃんを伴い出発する。
ほどなくT字路で軍事道路が合流、
緩やかなカラマツ林の尾根に真直ぐな道が延び久々のシューラッセルに息が上がった。
この軍事道路は日露戦争当時に敵艦の攻撃を受けて小樽が孤立するのを防ぐ目的で設けられたものである。
張碓トンネルが開通するまで旧国道4号線に編入されていたらしいが今はすっかり風化してその辺の林道と何ら変わらない。
時折青空も望まれ綺麗な冬景色にMちゃんもすっかりご機嫌な様子、
下の採石場からガタゴトと重機の音が聞こえてくるのが余計だった。
道端や林の中にぽつぽつ現れる古い木柱は電話設備の残骸である。
番札から大正〜昭和初期の逓信省時代に建柱されたものだが
支線や支柱により今もって自立しているのは驚きだった。
道路を外れてぶかぶか雪を直登、大変だが楽しい 潅木に囲まれた初ピーク、天気も相まって展望得られず 急斜面を下る途中で石狩湾と暑寒の山々が望まれた
開けた土場から手稲山、銭天、春香山、和宇尻山を眺めて一休み、
再び展望の効かない単調な道に戻る。
やがて石倉山林道の分岐を過ぎ、
道が下り構えになると郵便〒マークの入ったコンクリートの建造物が目に留まる。
これは伝送損失を補うため装荷線輪(コイル)を収容した筐体で、
この道は軍事道路だけでなく札樽間の重要な通信ルートにもなっていたと興味が尽きない。
さて山頂へは分岐に戻って林道を辿ればよいものを
退屈な道路歩きに飽きてしまい急な斜面を直登することにした。
ぶかぶかの新雪に手こずりながらも樹林越しに石狩湾を望めたのがせめてもの幸い、
すっきりした眺望が無いまま山頂台地に到着する。
潅木に覆われた小高い場所に山頂標識が括られていた。
ここからは尾根の先に673mピークの小樽内山が見えるだけ、予想通り展望のない山だった。
予定した小樽内山を見合わせ下山開始、急斜面を尻滑りで降りる。
天気が回復して石狩湾の向こうに暑寒の白い山並が薄っすら望まれた。
スキーなら一気に滑って戻れた道路をバタバタ下る。
初めてのMちゃんだけが終始喜んでいた。
<翌週の小樽内山はこちら>