浜益御殿〜浜益岳〜群別岳〜暑寒別岳 1038m・1257m・1376m・1491m 地図はこちら ■Home |
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4/28 晴れ 今までずっと寒かった道内も一気に気温が上がり、気掛かりだった幌の林道もほぼ例年通りからの出発となる。
浜益御殿を過ぎると一番若くて体力のある筈のK藤さんが遅れ、浜益岳の山頂にスキーを引きずって登って来た。
どうやら縦走の経験不足からあれこれ詰め込んだザックの重さに自滅したようだった。
山頂で暫く休憩し彼の荷を分担しようとするがこれ以上登ったら皆の迷惑になるからここで引返すと潔い。
一人で帰すのは心配だったが他に人が一杯登ってるし、ツボを辿ってのんびり帰るからと意思は固かった。
靄掛かった群別岳と暑寒別岳は遥か遠く、数名のギャラリーに見送られ4名で浜益岳を出発する。
直下の陵線には雪庇が出ていたがすぐに開けた大斜面が眼前に広がっていた。
左に暑寒別岳、右に幌天狗そして正面の群別岳に向って標高差300mあまりの滑降はすこぶる爽快だった。
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コルまで一気に滑って1026ポコに出ると群別岳がぐっと近く感じられたが、
その後は思うように距離が縮まらない。
陵線の雪庇は既に小さくなり一部にハイマツが出ているものの概ね歩き易く、
1018ポコからは入組んだ広大な群別岳の裾野をトラバースする。
真下から見上げる群別岳は上に岩を巡らせた要塞で、
見慣れぬ暑寒別川源頭の景色にワクワクしながらテンバに向った。
沢筋にはなかなか良いテンバが見付からなかったが末端まで辿ると
雪庇に囲まれた窪地があり、少し気味の悪い場所だったがザックを下ろすことにした。
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日没までには戻れるだろうと空身で山頂アタックを開始する。
見上げる陵線には雪庇が張ってまずは東のコルを目指し急な斜面にステップを刻んだ。
小さな雪庇を崩して陵上に這い出ると天を突く山頂が黒い影になって我々の目の前に迫っていた。
頂陵部の北面はスッパリ落ちていよいよ高度感を増し、最後は飛び出した潅木を掴んで狭い山頂に立った。
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空はいつの間にかピンク色に染まり、浜益岳と雄冬山の日本海に日が沈もうとするところである。
南の眼下には小さな黄金山が望まれ、東にはこの山と接する奥徳富岳が優美な姿を見せていた。
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そして暑寒別岳と南暑寒別岳の大パノラマが目の前に広がっている。
緩やかに見える稜線には雪がたっぷりあって明日もハイマツを漕ぐ必要はなさそうだった。
風があって少し寒いが日が落ちる寸前までこの景色を眺めていたい気分である。
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4/29 晴れ 沢から吹き上がる風が一晩中テントの吹き流しをバタつかせ、
たまたま入り口に寝たK倉さんは最悪だったとぼやくが他の3名はすっきりした朝を迎えた。
奥徳富岳はすぐ近くだがつい面倒臭くなって
「待ってるから未踏者だけ行って下さい」ってことになったが
誰もその気がないままのんびり朝メシを食って出発した。
尾根に取り付くと群別岳(写真左)がまた違った姿を見せ始める。
そして陵線のポコをまとめて大トラバースしながら後ろを振り返ると奥徳富岳(写真右)が
今まで見たことも無い峻険な山容を誇示しているではないか!
「やっぱり登っておけば良かったな」と後悔することしきりだった。
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暑寒別川と徳富川の源頭域にあるホンジャマ平へ急降下する。
今ではあまり山に行かなくなった会の先輩等が30年ほど前に二日間ほど停滞しちょっとした騒ぎになりかけた場所で、
飲んではよく思い出話しを聞かされただけに興味深々である。
夏はお花畑が広がると言う1000mの高層湿原も今はだだっ広い雪原があるだけだが
一度来れて満足だった。
さていよいよ暑寒別岳の陵線が壁のように迫ってくる。
どこから取り付くかあれこれ思案するも結局最短ルートを取ることになった。
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ホンジャマ平から急斜面を登り終えると南暑寒別岳からの支陵が合流し、
遠くなった群別岳と奥徳富岳を眺め一息入れる。
山頂まであと幾らもないなと思ったのも束の間、左がすっぱり落ちた急な痩せ尾根が待っていた。
亀裂の入った三段の斜面に手こずりながら何とか肩まで登り切ると
背後には南暑寒別岳、雨竜沼湿原(雪原?)、恵岱岳など新たな展望が加わり、
緩やかな頂陵の先に漸く山頂が見えてきた。
この日の暑寒別岳は大混雑、続々と人が登ってくるので急いでシールを外し滑降を始めた。
浜益岳を引返したK藤さんとは大斜面を滑り終えたところで再会できたが
何と縦走の辛さを共有したいと全装のまま登ってるのには驚いた。
今回の経験がバネになったのではないだろうか?
みんなで大斜面を一本登り返し下山した。
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