芦別岳(旧道コース〜ユーフレ川本谷) 1726.9m  ■Home
2010年6月中旬 晴れ 旧道から本谷 メンバー6名 
6/12 19:30太陽の里キャンプ場C0
6/13 4:55旧道登山口→6:00旧道分岐→8:20陵線1279m→(11:35-12:35)芦別岳山頂→本谷下降→14:40ユーフレ小屋→16:00旧道登山口

太陽の里キャンプ場で前泊し旧道登山口を5時前に出発する。 1時間ほど歩いて丸太橋を渡り旧道分岐に差し掛かる頃には額に汗が滲んだ。 本谷は何度か登っているが旧道を歩くのは今回が初めてである。 道は鬱蒼とした谷間へと続き、すぐ脇を夫婦沢が流れヒンヤリして気持ちが良い。 程なく道が荒れ雪で所々不明瞭となるが要所に付けられたコーステープが大助かりだ。 エゾノリュウキンカと水芭蕉が雪解けを追うように咲いている。 湿地一面に黄と純白の房が輝く様は美しく思わず足が止まる。 旬の葱を頂戴しながら1000mを越えると水が涸れた。 槙柏山の裾を過ぎると迫力ある夫婦岩が近づいてくる。 岩登りの対象となる南峰は裏に重なって見えないが間近に見る北峰の立った岸壁は見てるだけで圧倒される。 チャンスがあればいつか夫婦岩にも登ってみたいものである。 それにしても今日は最高の登山日和に恵まれた。 青空の下に雪渓と芽吹いたばかりの新緑が目に鮮やかですがすがしい。 だが6月にしては異常な暑さで額から汗が止まない。 稜線に出て夫婦岩の高さに近づくと漸く展望が利き始めた。 後ろに御茶々岳と右に崕山、更に前方から形の良い山が見えてくるが名前が出てこない? あとで通称「中岳・1490m」だと分かったが気になる山の一つになった。 出発して4時間が経ち遂に山頂が姿を現すとそれは北アルプスの槍と瓜二つ、 今まで見た芦別岳の中では一番格好良く見とれてしまった。 頂までまだ幾つかのコブを越えねばならないが急に花の種類が増え目を楽しませてくれた。 ハクサンイチゲ、ミヤマキンバイ、シラネアオイ、ウコンウツギ、ハクサンチドリ、エゾタカネスミレ、チングルマ、サンカヨウなどが見頃を迎えていた。 この時期にサクラが咲いてると何だか得した気分になるから不思議である。 「サンカヨウの小さな花が清楚な女学生のようで可愛い」と言うNさんの言葉に共感する。 尤もそれはかなり昔のイメージであるのは言うまでもない。


こんな近くで夫婦岩の岸壁を望むのは初めてだ    岩肌と背骨のような崕山は遠くからでもすぐ分る    一際目を引き気になった山は通称「中岳」だった
長かった旧道コースもいよいよ佳境を迎え山頂と一陵がすぐ間近に望まれる。 本谷の急な斜面にジグを切って登ってる一行を眺めながら目を凝らすと一陵を攀じってるパーティーと山頂の西壁にも人が張り付いていた。 お目当ての産毛を纏った淡いクリーム色のツクモグサが岩場にポヤポヤと咲いて可愛いらしい。 山頂基部の岩場に点在するエゾルリソウはまだ小さなつぼみだった。 山頂に到着すると本谷を登ってきた御一行の中に知った顔があり、隣のテントだったと知って二度ビックリする。 新道を下る彼らを見送り葱どっさりラーメンで1時間ほど大休憩する。 さて今回の目的の一つである本谷の初下降へと向う。 雪はグサグサかと思ったらそうでもなく強く蹴り込んで踵が埋まるくらいだった。 足は地下足袋の自分以外は揃って夏靴で4本爪の軽アイゼンを持参したメンバーもいたがグリセードだから使わず仕舞いだ。 ステップの跡を100m程慎重に降るとシビレを切らしたKさんがグリセードを始めた。 途中で麦わら帽子が飛ばされそうになりバランスを崩したが構わず滑って行く。 全くこの斜度でよくやるものである! 自分もあとに続くと流石に下りが早く一度に100m位あっと言う間に降りてしまう。 他のメンバーは始め慎重だったが目の慣れた1400m位からグリセードと滑落停止の練習を兼ね下りだした。 調子こいて滑るのはいいが岩壁の淵には大穴が開いてるから気が抜けない。 ゴルジュの手前で一箇所沢が開きへつりで抜けた。 ゴルジュは大丈夫だと聞いていたが痩せて気持の良い状態でなく数日で崩壊という感じである。 お初の本谷がいきなりグリセード下降だったメンバーには少し気の毒な気もしたが、 めったにない経験でそれなりに楽しそう。 お天気に恵まれてお花を愛でつつ良い山行になりました。
  <熊の沼沢遡行〜芦別岳はこちら> <本谷遡行〜芦別岳はこちら>


旧道から望む槍のような芦別岳と壁のような本谷   本谷の下降、意外に硬く始めは一歩一歩慎重に下った   ゴルジュは雪渓が痩せてとても気持ち悪かった
湿地一面に咲くエゾノリュウキンカと水芭蕉     清楚な女学生に例えられたサンカヨウの小さな花     キバナシャクナゲとバックは芦別岳1陵


  芦別岳(冬季・新道ルート) スキー 1726.9m  ■Home
2008年2月上旬 晴れ 新道コース往復 メンバー3名 総時間12.00(休憩含)
2/9 登山口10:10→鶯谷C1・14:20
2/10 C1・6:25→半面山8:00→1570mスキーデポ9:25→芦別岳(10:40-11:00)→スキーデポ11:40→半面山12:20→C1(13:00-13:55)→登山口15:20

三連休に芦別岳のお誘いを受け二つ返事でOKした。 道内5大鋭鋒の一つを厳冬期に登れるなんてまたとないチャンスである。 ところが力自慢のリーダーSさんが急遽不参加になって計画が頓挫してしまった。 お代わりの山を探すがどれも決定打に欠け、日程に余裕があるので決行しようということになった。 当日は予定通りK車で出発し除雪の関係で旧道側の路上に車を止める。 スキーを履き新道口に戻ると何と嬉しいことに新しいトレースが付いていた。 ところがこれを辿ると予定の新道コースを離れ冬尾根へ向かい出した。さてどうする? 「このまま冬尾根いっても合流すんだから良いんでないの?Y」、「楽な方がいいわね、けどリーダにお任せします T」、 「あたしもラッセルするから新道いきましょ!K」と言うことで新道に戻った。 積雪が少なく凹凸や小木が目立って早くも帰りのスキーが気になる。 額から汗が落ちて止まないのは気温が高いばかりでなく昨夜の飲み会のせいだが後のTさんもいい汗掻いている。 

翌朝、半面山で夫婦岩をバックに快調な二人     雲峰山をトラバル、ポントナシベツ川の谷は深くて気持ち悪い程だった!本峰がいよいよ近づいてくる

再びトレースを発見する。冬尾根に向かったと思ったトレースがまた合流したようだ。 しかも二本のうち1本は真新しくすぐ先を登ってるようである。 意図的では無いがなかなかトレースの主に追いつかず遂に970mでプッツリ途絶えてしまう。 左の沢へ下った跡がありどうやら滑りが目的だったようだ。 予定のテン場である鶯谷には早い時間に着いたので半面山までもう一踏ん張りするか、さてどうする? これから先はスキーでは登れそうもない急斜面であり今日は此処で打ち止めにしようと意見は一致した。 標高差800mを4時間かけて登り喉はからからだが軽量化のため誰もbeerを持ってこなかった。 テン場の雪は踏んでも踏んでもグラニュウ糖のように締まりがない。 15時過ぎから飲み始めるとやがて山部の町に明かりが灯る。 Kさんのすみれ汁に舌鼓を打ち次々と出てくるおつまみが嬉しい。 500mlの自家製梅酒に始まって何と1500mlのウイスキーが空になったのには驚いた。 なんだかんだ言ってすごい飲みっぷりだ!21時半就寝する。 翌朝5時起床、外に出るとそれほどの寒さはなく晴天が約束されたような空だった。 昨日すごい急に見えた目の前の尾根は何とかスキーで登れたがその先でいよいよシートラする。 反面山から見る雲峰山は染み一つない純白の雪に覆われ、真青な空とのコントラストが眩しかった。 その後ろには本峰が凄みを効かせて聳えている。 雲峰山を尾根からツボで登るか裾をスキーで巻くか、さてどうする? 何年か前に会の山行で雪崩れた場所でKさんは慎重だったが雪の状態は安定しており裾を巻くことにした。 無木立ちの斜面では流石に良い気持ちがせず1人ずつ慎重に登った。 次にポントナシベツ川の深く落ち込んだ谷を左に見ながら急斜面をトラバースする。 ここも精神的にストレスを感ずる斜面でようやく新道上に出てアイゼンに替えた。 陵線上には本谷側に雪庇が張り出している。 時々ハイ松を踏み抜きながら登ってゆくと傾斜が増し、雪崩れたらと思うとぞっとするピーク下の大斜面だ。 山頂直下の岩稜帯は左から回り込んでピークに到着した。
直下は南端から回り込んで山頂へ到着        厳冬期でめったにない好条件に恵まれる        へたすりゃ本谷へ落っこちそうな気がした

快晴無風でまったく2月とは思えない暖かさに驚く。 十勝連峰を始め大雪山、夕張岳、北日高の山々、羊蹄山、暑寒別岳、見事な大パノラマだった。 北尾根の途中までツボ跡らしきものが延びてるが何だかはっきりしない。 下りは流石に早い、ふと足を止めて北尾根を振り返ると小さな人影が二つ険しそうな峰に立っていた。 つい嬉しくなってエールを送ったが本谷を挟んで届く筈はなかった。 シールを着けたままテン場まで戻り小一時間ほど休む。 重いザックを背負っての滑降は辛く、すぐ足が悲鳴を上げた。 Tさんは久々のプラブーツで滑り難いと言ってる割にはすいすい先に行って二人を待つ場面が多かった。 「初心貫徹」が肝心だった!この好天に行き先を変えていたら絶対後悔しただろう。 バーデンフラノで汗を流し、さて一日儲けた明日は何をしよう?三者三様の思いで家路についた。 
   



  ユーフレ川本谷〜芦別岳第1稜(残雪期) 1726.9m  ■Home
2007年6月中旬 晴れ後曇り 総時間12.45(休憩含)
旧道4:50→ユーフレ小屋6:30→1稜取付11:00→山頂(16:00-16:40)→新道口18:45→旧道19:15

初めて一稜を登った。メンバーはH氏とKさんである。 2時の自宅出発を4時と聞き違え危うく寝過すところだった。 予定通り旧道口へ4時半に着くと所属会の黒氏とバッタリ会う。 覚太郎コースから戻ると言う彼の足は速く途中で我々を追い越して行った。 小屋に着くと雪は全く無く暫くユーフレ川左岸の踏み後を辿るとc700で漸く雪渓が現れる。 その先にあるゴルジュは口を開けて爆音を轟かし左岸を高巻く。 この高巻きの下りにはロープが掛けられ大助かりだが降り口で岩から雪渓に移る時が厭らしい。 雪の厚さが分らず下手して岩と雪渓の隙間にでも落ちたら一大事である。 雪渓が切れた場所では渡渉やへつりに時間がかかったがc770より雪が続き軽アイゼンを装着する。 三俣を越え一稜の末端まで辿り着きハーネスを装着するといよいよロッククライミングの始まりである。 今回はKさんを真中にしてスタッカットで登ることにした。 最初の1P目は末端からH氏がザイルを引張り壁に取付くがボロボロの岩から崩れた石屑が落下し緊張する。 なにより濡れた靴で雪渓の上にじっとしていると足が凍えて辛らかった。 2番手で登ったKさんはボロイ岩に難儀し途中で詰まってしまったがこの際ゴボウで登ってもらう。

     口を開けたゴルジュの左岸を高巻く        1稜末端の取り付きを窺うH氏       1P目を攀じる、崩れた岩がボロボロ上から降ってくる

二人の様子を見て10m程ずれた位置から取り付くと数m上にハーケンが打たれ此方の方が幾分楽な感じである。 岩は思った以上に脆く騙し騙し二人の立ってるテラスまで登り今度は自分が2P目をリードする。 石を落とさないように神経を集中し潅木にランニングを取りながらふと下を見ると足の竦む高さである。 本谷の落ち込みがちょうど赤岩を攀じる時に下の断崖と海が目に入るのと同様、高度感を増幅する。 潅木とハイ松が出始め僅かな踏み跡もあって少し余裕が出てくると岩場に張り付くキンバイ草やツクモグサが目に留まる。 H氏と交互にトップを交替しザイルを出したまま登ったので時間が掛かってしまった。 ザイルが必要なのは取り付き数Pとピナクル等の痩せた岩稜の登攀時のみで充分だ、 本峰が視界に入っているがなかなか近くならない。 雲が切れると各ルンゼの残雪模様が殊のほか美しく、また各支稜や夫婦岩の景観が素晴らしい。 旧道を登山者の列がゴマ粒になって動いてるのが見え、 次はまだ歩いてない旧道からこの1稜と本峰を眺めて見たいと思う。 山頂に着くとあまりに遅い時刻で当然誰も居ないが、日が長いので乾杯しのんびり休憩した。 今回の山行では遅まきながら芦別岳の素晴らしさを認識することが出来た。 夏山だけでなく岩、沢、冬山など季節を問わず実に魅力的な名峰だったことに気が付いた。 ノンストップで新道を下り旧道口のH氏の車を回収しに戻る。 既に薄暗くちょうど新道→旧道コースのグループが下りて来るところだった。 大人数の中に足の遅い人がいたらしいが旧道コースは結構時間が掛かるらしい。 記帳を見ると黒氏は16時前に下山し私の安否を気遣って電話を掛けてくれていた。
     
急峻なルンゼに残る残雪模様が美しい       伏魔殿のようなピナクルを攀じるKさん       1稜取り付きから5時間かけ静かな山頂に到着

「登山は家に帰るまで気が抜けない」・・今回は最後に落ちが付いた。 富良野の町を走行中に突然H氏の車のボンネットから煙がもくもく噴出し大慌てでコンビニに停まった。 エンジンを切ってどうにか煙は収まったがオイルの焼けた匂いが強烈で何事かと様子を窺いに人が集まってくる。 レッカー手配しているとサイレンの音が近づき消防車とパトカーまでやって来て大騒ぎである。 しっかり事情聴取され札幌から迎えに来てもらった車で自宅に戻ったのは真中の2時だった。 後日、消防の調書が車の無料修理に役立ったと言うから「塞翁が馬」何が役立つか分らない。


  ユーフレ川本谷〜芦別岳(残雪期) 1726.9m  ■Home
2007年5月下旬 晴れ後曇り 総時間10.20(休憩含)
旧道登山口5:30→ユーフレ小屋7:10→山頂(11:50-12:10)→新道登山口15:25→旧道登山口15:50

朝3時に札幌を出発し北広島のメンバーを拾って5時半に旧道口を出発する。 平日のせいか完全な貸切である。 ユーフレ川左岸に延びる登山路は数度の高巻きがあり結構な高さを上り下りさせられる。 沢を右岸に渡るとすぐ右から夫婦沢が不動の滝となって落ちる。 この沢に掛かる丸太は水量が少なければ下を渡れるが今日は諦めて木の上を歩く。 すぐ上にある鉄梯子を登るとユーフレ小屋への分岐で白竜の滝が勢いよく落ちていた。 崩れた土砂を横切り左に小さな三階の滝が見えると程なく風情のあるユーフレ小屋に到着する。


雪解け水で勢いのある、白竜の滝         石積みで趣のあるユーフレ小屋           気になってたゴルジュを通過したところ

以前、同時期に来た時より雪が少なく周りにブッシュが出ている。 左岸を進むとようやく雪が現れ気掛かりだったゴルジュは雪が痩せてるものの難なく登れた。 全体に雪は少なく雪渓の至る所に穴が空き水流が覗いている。 雪が硬くなった標高900mでアイゼンを装着する。 一時ガスって視界が殆ど無くなるが1200mの三俣手前で急に晴れ、素晴らしい景観の中に居ることを実感する。 中央の本谷は一気に傾斜を増し、もし滑落したら止まるだろうかと思うと刻むステップに力が入る。 後ろの二人に「凄い高度感だよ!」と声を掛けると「下を見ないように登っている」との返事だった。 ようやくコルまで登って一息付き、更に15分程岩場を登って山頂に到着する。 まずまずの眺望だったが風が強くすぐ退散した。 新道にはビッシリ雪渓が残って直下はアイゼンが欲しい程だったが面倒なのでプラブーツのまま下った。 途中ネギ採りして、ちんたら旧道の車を回収した。

     
荒涼とした深い岩礫の谷に入っていく        稜やルンゼの凄い景観の先に本峰が見える       ラストは吸い込まれそうなほど急になる


 芦別岳(夏尾根・新道コース)1726.9m  ■Home
99年9月中旬 曇りのち晴れ 単独 登り3:50 下り2:50 

朝3時半に自宅を出発し三笠市を過ぎるとようやく空が白んでくる。 晴れの予報にもかかわらず道路が濡れているのでガッカリだ。 富良野に入ると山辺にある太陽の里公園へは15分足らずで到着した。 新道登山口の手前に小道があって赤テープが垂れていた。 隣の車で食事中の男性に一応登山口を確認、ちょっと紛らわしい。 出発早々から急登で足が重い、 樹林で視界の利かぬ単調な登りが1時間ほど続いて見晴台を通過する。 見晴台といっても木の間から山辺の田園風景が垣間見える程度だった。
ぼんやりガスってるが午後からの好天を期待する。 そこから40分ほど登って鶯谷、さらに40分で半面山に到着する。 標識の落ちたポールが立っていた。 雲峰山までは道が悪く深い雨裂ができて歩き難い。 その途中に小さな湿原「熊ノ沼」があって葦と水芭蕉が群生していた。 近くに遭難碑(S56・9月旭商生)が建っていた。 雲峰山からは山頂が間近に望まれ、人がマメ粒のように見え隠れする。 山頂から地獄谷(本谷)へ断崖のような岩稜とその本谷を挟むように荒々しい支稜とリッジが見て取れる。 屏風岩と夫婦岩も迫力ある景観である。
山頂直下はちょっとした岩陵帯で右に進んでピークに到着する。 ひっそりした狭い山頂に風が吹き上がりのんびりと初ピークを楽しむ余裕がない。 木製の標識板が無残に転がり文字が擦れて風雪の厳しさを想像する。 少し青空が広がってきたが次々と雲が湧いてスッキリしない。 雲に邪魔されながらも稜線続きにポントナシベツ岳と夕張岳が望まれた。 その右は桂沢湖の一部、その隣は幾春別岳だろう。 ずっと先に白っぽい岩稜が特徴の崕山も見えている。 噴煙を上げる十勝連峰と大雪山、金山湖の向うは北日高の山々か。 旧道コースの北尾根も小岩峰が並んでなかなか良い眺めである。 かたや新道コースはパッチワークみたいな畑や喉かな田園が広がっていた。 荒々しい岩陵を伴った取っ付き難い感じの山だが、 花の時期に再訪してみようと思う。

     
 狭くてごつごつした芦別岳山頂           屏風岩と喉かな田園風景         ポントナシベツ岳の先は夕張岳     .








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