コイカクシュサツナイ岳〜ヤオロマップ岳〜1839峰 1721.0-1794.3-1842.0m(日高)   ■Home
2004年7月中旬 コイカクシュサツナイ岳コース 雨後晴れ  総時間18:40(休憩含) 累積標高差2270m 片道12.2km
一日目 コイカク沢出合4:50→上二股(6:35-6:55)→c1305m(9:30)→コイカク夏尾根頭C1(10:55)
二日目 C1(4:40)→ヤオロマップ岳(6:30-6:40)→1839峰(9:05-10:10)→ヤオロマップ岳(12:35-13:10)→コイカク夏尾根頭C2(15:15)
三日目 C2(7:55)→上二股(9:25-9:55)→コイカク沢出会(11:45)

1839峰へのアプローチは遡行から始まる。(二つ目の函)  周囲のどの山よりも高くぽつんとそびえ連携を嫌い孤高を誇っているかのように見える。(夏尾根頭)
こちらはテン場より北側の山並み、お馴染みの山々が一望できた。未踏の1823峰を経由しこの稜線を歩きたい。(夏尾根頭より)
今まで何度も計画が頓挫しいよいよ1839峰へ登れると思うと子供みたいに胸がわくわくする。 なにせ神々の山・日高山脈のほぼ中央にそびえ遠いがゆえ、一・二を競う岳人憧れの山なのだ。
東京から最終便で来たYoshimura女史を千歳空港で迎え次に日高町道の駅でkuriki氏と合流し急ぎ札内ヒュッテへ飛ばした。 午前2:30頃着くと小屋前に数台止まっていたのでヒュッテへ入らず車中で仮眠する。 4時過ぎ目を覚ますと何人か出発準備を始めていたので起きて支度にかかるがYoshimuraさん爆睡中でなかなか目が覚めない。 それにしてもちょっと多い人数だなと思ってると札内山岳会の山行もあるとかで後から続々車がやって来た。 既にノ○ドの大パーティーがヤオロでテン泊予定なのは判ってるが限りあるテン場が足りるだろうか・・ちょっと心配になってきたぞ。 予定のテン場はコイカクかヤオロどちらか成り行きで決めようということにしてあるができればヤオロまで行った方がその後の行動に余裕が持てる。
沢装備でヒュッテを出発しトンネルを抜け10分程でコイカク沢出合に着くとここにも車が止めてあった。 広い川原に下りゴーロを淡々と遡行する。途中の砂防ダムは右岸から、一つ目の函も右岸に巻き道が付き、二つ目の函は中を行く。(沢は増水でもない限り特に心配ない)
c520上二股に着くと札内山岳会がいて聞くと今日はコイカクまでの日帰りとの事だった。 登山靴に履き替え沢靴はその辺の木にぶら下げる。 尾根取り付きは背丈程の笹で覆われ少々不明瞭、案の定涸れ沢に入り過ぎ戻るのに若干藪漕ぎした。始めは笹薮のゆるい登りだったが灌木に入ると噂さ通りの急登になった。 水8Lとアルコールの入った大型ザックがずしりと重くしかも馬鹿な私は卸し立ての靴で足が痛いおまけ付きだった。
途中でだらだらと足並みの乱れた○○山岳会を抜き、c1305(二張分あり)過ぎで中年単独者に抜かれた。(後に悲しい結末となる) ことさらこのc1305を越えてからは拷問のような登りが続き唯一の喜びは振り向く度に高さが実感できることである。 だが登りはともかく下りまで考えたくない高度感だ!  尾根上部は足元が切れ落ちた岩場等も登らねばならず滑落したら一大事と思うような場所が多い。
やっとこさ稜線に飛出しドラマチックな日高の山並みを期待したが視界30mのガスで何も見えない。 まだ11時前なのでヤオロまで行く時間はたっぷりあったが私的には靴擦れした足で重いザックを背負いこれから這松漕ぎなどしたくなかった。 同行者もこのガスではいまいち気乗りしないようでヤオロまで行って前日から入ってるノ○ドと先の単独者でテン場が無いかも しれないなどこじつけここ(夏尾根の頭)にテントを張ることにした。(二張分あり)
後から分かったが3連休初日の今日は上二股から上のテン場が全て埋まりヤオロから戻って中間(一張分二箇所あり)に張った人もいたと聞いた。 早くテントを張って正解だったのだ。  ただ暇つぶしにコイカク(二・三張分あり)まで散歩したりするが何もすることなく早めに食事して就寝する。

夜半から風雨となり翌朝も雨は上がらなかったが天気は確実な回復傾向にあったので他パーティに先駆け決行した。(kurikiさんが気象予報士なのが心強い)
コイカクから先は日高特有の細い稜線で両側が谷底のようにえぐられているが空身なのでさほど危険は感じない。 しかし足を滑らせたり躓いたりして滑落したら命は無いなと思うような箇所はそこかしこにある。
ヤオロ山頂でようやく小雨になってきた。ノ○ドツアーのジャンボテントだけ抜け殻だったが他二つはまだ中で燻ってるようだ。 1839峰へは這松も幾分手強くなるが背の低いYoshimuraさんも上手に掻き分け後を付いて来る。 時折お花畑を通過し心が和むのとようやく雨が止んだのが救いである。 唯一先行してる商業ツアーの内一名がガイドに付き添われ疲労でリタイアし更に30分後にふらふらと一名が単独で戻ってきたが山頂まで残り1時間なのに何とも可愛そうだ。
最後の岩壁に6oの頼りないロープが下がっていたが枝を手掛かりによじ登り先行ツアーに追い付いて念願の山頂へ到着した。(所要時間4:25)
ようやくガスが上がりだし日も差してきて日高の山々が少しずつ見え出す。 ツアー組は僅か15分で戻ったが我々は辿った稜線や小さく点在するテントを眺めながら一時間のんびり過ごした。 結局雨が止むのをじりじり待っていた多くのパーティは断念し、この日登頂したのは我々とノマドツアーの他に下山途中ですれ違いに登ってきた1パーティのみだった。 下山は下ると言うより辛いアップダウンの繰り返しで登り続けると言った方が言を得ている。 帰りの体力と時間配分をしっかり考慮しなくてはいけない。
ヤオロ山頂へ戻ると沢山の登山者で賑わっていた。 深い渓谷と急峻な峰々が累々と連なりまさに日高山脈の主稜線に自分が立ってることを実感させてくれる。 周りから会長と呼ばれてる方が「今朝あの雨の中でチリンチリンと鈴を鳴らし出掛けたあんた達を見て馬鹿な奴等だと思いつつ、 実はどうしようか迷っていたがいつになっても雨止まないし・・・結局あんたら正解だわ!」と言われたがちょっと複雑な思いがした。 同行者が健脚で無理すれば一日短縮しての下山も可能だったが予定通りもう一泊楽しむことにする。 夏尾根頭のテン場へ戻ると朝までガスで何も見えなかったテント前には日高の大パノラマが広がっていた。 真正面の1839峰を改めて眺め登頂をはたせた感慨に浸る。 1839峰は周囲のどの山よりも高くぽつんとそびえまるで連携を嫌い孤高を誇っているかのようである。 赤く染まる日高の夕暮れシーンを飽くことなく眺め、翌朝は雲海からのご来光を拝み名残惜しく下山した。

Yoshimura女史の後日談 「嵐山山荘のお風呂で自分の脚を見てビックリ・・ハイマツと藪漕ぎでまだら状のアザになっていました。 その時居合わせた女性がその脚を見て 「1839峰に行ってきたっしょ!」 といきなり言われまたまたビックリでした。」

実は後から新聞で知ったのですが同じ登山日程で1839峰を目指した単独男性が滑落していたのです。 単独者を見たのは後にも先にもは一日目に尾根で抜かれた方しかいませんでした。 ヤオロの左沢源頭寄りに張った小さな青いテントは彼のものだったと思いますがその時、 中に居たかどうか確認できません。いずれにしろ我々と相前後して出発し1839峰を目指す途中で滑落したものです。 せめて少し早くガスが晴れていたらと思いますが・・気が付かず上を通ったのがとても残念です。心よりご冥福をお祈りします。

(7月21日付 北海道新聞)
『 旭川の登山者 日高から戻らず 家族が救助要請
 中札内 20日午前11時半ごろ、旭川市東旭川南△の△、臨床工学技士村△克△さん(48)が、十勝館内中札内村の日高山系コイカクシュサツナイ岳(1721メートル)に登山に出かけたまま下山予定を過ぎても戻らない、と家族が帯広署に救助を要請した。  同署によると、村△さんは17日朝、単独で中札内村のコイカクシュサツナイ川登山口から入山。17日午後5時ごろ、ヤオロマップ岳山頂から携帯電話で家族と通話したのを最後に、19日の下山予定を過ぎても連絡が取れない。  21日早朝から道警ヘリコプターと、道警山岳遭難救助隊、旭川山△会の計18人が捜索する予定。』 

(7月22日付 北海道新聞)
『 日高山系で滑落 男性の遺体発見
 静内 十勝管内中札内村の日高山系コイカクシュサツナイ岳(1721メートル)周辺を登山中、連絡が取れなくなっていた旭川市東旭川南△の△、臨床工学技士村△克△さん(48)を捜索していた道警ヘリが、21日午後零時20分ごろ、日高管内静内町のがけで滑落した男性の遺体を発見。帯広署のその後の調べで、遺体は村△さんと確認された。  同署によると、村△さんは同岳の南側にあるヤオロマップ岳(1794メートル)と、その西側の「1839峰」との間の稜線から、約150メートル下に滑落していた。』  
  
       
夏尾根頭より正面に1839峰(見た目の大きさ)  「ヤオロの窓」って何?と聞かれ、覗くからと答えた。 中間にあるテン場、寝ぼけて落ちたらあの世行き。
       
1839峰最後の登り、岩剥き出し部分が注意          共に初登頂、感慨無量!        1839峰より台形状のコイカクシュサツナイ岳を望む

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